2010年11月29日月曜日

宮古島の伝統工芸品宮古上布

全国には沢山の織物文化がありますが、宮古島にも負けず劣らずの織物文化があります。
日本の麻織物の中には東の越後上布、西の宮古上布と言われる程その名を知られています。

しかし、宮古島では宮古上布という名前は知っているけど実際に着物を持っているという人は
少ないようで、敷居が高い織物ということが一般的な認識のようです。確かに宮古上布の価格は
何百万もする価格で取引されるようですが、それは高級デパートや呉服屋での話ではないかと
思います。

文献によれば、14世紀に朝鮮の船が難破して沖縄の島々を朝鮮人が見聞した記録には既に、
宮古上布らしきものの存在が記されているようで、とても綺麗な織物だと記されております。

宮古上布が広く知られるようになったのは、17世紀に稲石という方が琉球国王に献上したところ
国王が大変気に入り、宮古島の貢布となってからのようですが、歴史的にはこのことで宮古島は
大変厳しい税に苦しんだと言われます。それだけ、美しく、技術の高い織物であったとも言えます。

琉球が薩摩の支配下にあった時代には宮古上布は薩摩上布として、江戸の町で大変な人気が
あったという事ですが、宮古の名前が薩摩になっていたとは、なんとも悲しい気持ちになります。

しかし、一方では薩摩が江戸に宮古上布を広めたとも言えますので、良いとも悪いとも言えません。
それにしても時代の変遷のなかで宮古上布は数奇な運命を辿ってきたのです。現在でも昔の技法
で作り続けられる織物があるなんて、やっぱり少しは自慢してもいいのではないかと思います。